砂利道を歩いて学んだこと|歩きやすい道とか平坦な人生って結局どうなのか問題

最近は散歩をすることが多いのですが、この前砂利道を結構歩いたんです。

砂利道を歩いた後の舗装された道の歩きやすさといったら…。

でも、歩きやすい道は良くて、砂利道が悪いのか、といったらそうじゃないと思うんです。

砂利道とか歩きにくい道が教えてくれることもある。

それって人生も同じなんじゃないかな?と思ったので、今回は“砂利道が私に教えてくれたもの”について書いていこうと思います。

砂利道を歩いて学んだこと「舗装された道は歩きやすい」

そうはいっても、本当に舗装された道路って歩きやすいんですよね。

砂利道って、砂利がごろごろしていて歩きにくいし、走るのも大変じゃないですか?

砂利とか小さい石が靴に入っちゃったりもするし。

足元が不安定というか。

砂利道から舗装された道に出たときのあの解放感というか(解放はされていないか)、「出口に出た」みたいな気持ちって結構いい気分ですよね。

歩きやすい道を散歩したいなあって思います。

また、わたしは雪国出身なので、冬になると雪道を歩くのがマジで苦痛です。

車はいいですよ。

だって、乗ってれば濡れないですし。(雪道の運転は大変だけどね。)

歩く側にとっては、歩道が除雪されてないと、本当に地獄です。

特に、ちゃんとした長靴ならまだいいけど、撥水加工とかいまいちな靴だった時の辛さ。

靴の中に雪や水は入るわ、雪に足はハマるわ、こけそうになるわ…。

べちゃべちゃ雪もガタガタに凍った雪も、本当に除雪されてない歩道は地獄でしかありません。

でも、そんな道から除雪されたところや雪がなくなったところに出たとき、とっても嬉しい気分になります。

本当に除雪してくださる方には感謝しかありません。

夏に向かっている真っ只中ですが、ここで感謝したいと思います。

除雪してくださる方、舗装工事をしてくださってるみなさん、いつも本当にありがとうございます。

 

ということで、舗装された道とか除雪された道って本当に歩きやすいですよね。

改めて実感します。

でも、“歩きにくい”=『悪』ではないと思いませんか?

歩きにくいって悪いことばかりではない

わたし的に”歩きにくさ”が教えてくれることは二つあると思います。

まず、今のように、歩きやすいことへの『感謝』です。

歩きにくい道を歩くことで初めて、歩きやすいことをありがたく感じます。

例えば、起伏もないような平坦な道をいつも自転車で通っているとします。

いつもはその道に対して何とも思わない。

でも、ちょっとした坂道を自転車で登ることがあったとします。

自転車って徒歩や車よりもちょっとした坂を敏感に感じますよね。

少しの登り坂もきついです。(わたしの体力の無さかw)

そうすると、いつもの起伏の無い平坦な道の有難さに気が付きますよね。

いつもは気が付かないけど、条件の悪い道を経験して初めて、いつもの道のすばらしさに気が付く。

ここから言えるのは、砂利道があるから舗装された道をありがたく感じることができるのです。

日本中の全ての道が舗装され、歩きやすかったら、その道を「歩きやすい」とは感じないのです。

“歩きにくい道”が私たちに歩きやすい舗装された道のありがたさを教えてくれるんですね。

そして、”歩きにくさ”が私たちに教えてくれることの二つ目としては、歩きにくさが私たちを『強くしてくれる』ということです。

舗装された道が一切わたしたちの体に負担がかからないとは言えませんが、砂利道の方が体(足)に負担だと思いませんか?

負担というか”負荷”でしょうか。

足に負荷がかかるということは、「足を強くしてくれる」と捉えることもできますよね。

例えば、筋トレ。

筋トレが好きな人とか痩せたい人とかって、わざわざ体に”負荷”をかけているわけです。

負荷をかけることによって、筋肉がついたり痩せたりできるから。

そう、”負荷”って悪いことじゃないんですよね。

だから砂利道とか坂道とかって、わたしたちに”負荷”をかけて『強くしてくれている』、と捉えることもできます。

“歩きにくさ”は私たちを強くしてくれているのかもしれませんね。

“平坦な人生”を目指す必要はないと思う

さて、ここで砂利道は道路だけの話ではなく、人生としても考えられるのではないかと思うのです。

平坦で歩きやすい道は素晴らしいです。

では、“平坦な人生”はどうでしょう?

そもそも平坦な人生とはなんなのでしょうか。

結論を言えば、平坦な人生なんてものは存在しない。

誰だって、悩むこともなく、失敗することもなく一生を終えることはできません。

でも、敢えて”平坦な人生”を想像してみたいと思います。(わたしが少し前まで思い描いていた人生です。)

わたし的平坦な人生

小中学校(義務教育)を普通に受ける

公立の高校に普通に通う

国立大学に普通に入る(普通じゃないかな)

まあまあ名の知れた安定した企業に普通に就職する

20代で普通に結婚する

子供を二人ぐらい普通に授かる

定年まで普通に働く

老後は盆栽とか畑仕事なんかを楽しんじゃったりして

認知症になる前にご臨終

どうでしょうか、わたし的には『ザ・平坦な人生の図』です。

うざいくらいに「普通に」を強調させていただいております。

「普通」という言葉からも分かるように、「普通」も「平坦な人生」もそもそも個人的な価値観です。

人それぞれ違うんです。

わたしは↑のような人生を「普通」と思って生きてきましたが、ある人にとっては高校を卒業したら専門学校に進学するのが「普通」かもしれないし、またある人にとっては大学を卒業したら実家の事業を継ぐのが「普通」かもしれない。

「普通の人生」も「平坦な人生」も人それぞれ違います。

ただ、今回言いたいのは、”「普通」は人によって違う”ということではなく、「普通」とか「平坦な人生」ってどうなんだろう?ということです。

先ほど述べたように、砂利道などの”歩きにくい道”は私たちに『歩きやすい道のありがたさ』や『歩きにくい道が私たちを強くしてくれる』ということを教えてくれます。

人生で考えると、

  • 歩きやすい道=普通の『平坦な人生』
  • 歩きにくい道=普通ではなく『障害だらけの険しい人生』

こんな感じでしょうか。

何度も言いますが、”歩きにくい道”は私たちにとって悪いものではありません。

むしろ、私たちに感謝の気持ちを教えてくれたり、私たちを成長させてくれたりします。

つまり、歩きにくい道=『障害だらけの険しい人生』は普通で平坦ではないけれど、私たちを成長させてくれるのではないでしょうか?

例えば、大学受験に失敗したとします。

その時点で、(わたし的には)”平坦な人生”ではなくなります。

でも、浪人して勉強を頑張り、1年後には目標の大学に合格したとします。

それって、「諦めずに1年勉強を頑張った」という人生の糧になります。

例えば、地元では名の知れた企業に就職しましたが、3か月で退職し、独立することにしました。

この時点で、(わたし的には)”平坦な人生”ではなくなります。

でも、やりたくもない仕事を週5日ただ単にこなすだけよりも、自分で考え、やりたいことをし、努力をし、試行錯誤する生き方をするわけです。

これって、その人にとって成長できる人生ですよね?

「普通の”平坦な人生”を送りたい!」という人はたくさんいると思いますが(少し前のわたし)、“平坦じゃない人生”も悪いものではないと思います。

現在、”平坦な人生”を夢見ているあなたには、ぜひ今一度、自分の理想の人生、今後どう生きていきたいかを考えてみてほしいのです。

できることなら…という夢の世界を思い描いてください。

  • 「働かないで毎月収入が入ってくる」
  • 「親友とおしゃれなカフェを開く」
  • 「億ションに住む」
  • etc.

平坦な人生が正義ではないのです。

親に決められた、親の期待に応えるような人生、一般大衆と同じような人生を目指すことが正しいわけではないのです。

もちろん、心から「”普通の平坦(だと思われる)人生”を歩みたい」と思うなら良いと思います。

でも、それが「正しい人生」だと思ってほしくはありません。

わたしは人生経験が浅いので、何偉そうに言ってるんだという感じですが、“平坦な人生”を目指そうとする必要はないと思います。

ぜひ、自分の夢を思い描いてみてくださいね。

もちろんその夢が、わたしが先ほど挙げたような「わたし的平坦な人生」でも良いです。

人生一度きりですから、今一度「自分の人生」にフォーカスを当てて、考えてみてください。

あなたが前向きに、明るい未来を思い描けますように。

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